先生との別れ [日記・話題のニュースなど]

1,000日間、先生のマイソールで
練習したパパ太郎は自分のシークエンスが
自動化されつつあった。

先生は、まだそれに気づいてはいない。

ここのところ、
先生はパパ太郎の言動に対して
否定的な自己概念を持っている。

「結果、私の言うことを
聞いていない・・・」と言い、

ヨガは最終的には全てを
捨てていくことと話しながら
圧倒的なパフォーマンスを見せつけている。

ヨガに於いては、先生と私の差は
歴然としており、
私はそれに近づこうとしているにすぎない。
受け止め方の相違なのだろうか?

先生の言う結果とはスゴイ姿だろうか?
最近、良く口にするのは、
「これができれば・・・人生が変わる」

パパ太郎の言う結果とは、
それに繋がるプロセスを自動化した姿なんです。

例えるなら、シャボン玉。
息を吹きかけると、いろいろな形に姿を変え、
浮遊しながら、反射により色とりどりに見えて、
消えていきます。

人が意識して行うのは、
息を吹きかける行為だけです。

あとは、石鹸水がシャボン玉になって
見ている人間を楽しませてくれます。

難しいアーサナを3日で出来る人もいれば
パパ太郎のように1000日、練習しても
できない人もいる。

身体のバランスや関節が各人違うから
当然のことである。

ただ、何故できないのか?
本当にできないのか?
自分は本当はどうしたいのか?

そこにたどり着こうとするアプローチや
プロセスを先生と何ヶ月も練習したことで
信頼関係が生まれる。
この信頼関係が心と体を癒やす。

パパ太郎はこの信頼関係ができたので
ヨガで糖尿病が治せたのだ。
けっして捨て去るものではない。
むしろ、大切に育て、伝えていきたい。

そして、パパ太郎は身体の自動化を
結果と考えている。

これをQとすれば、
Qは、はじめはアンバランスで不確実に出現し
時間の経過とともに確実になってくる。

身体が自動化すると
心の制御はより困難になり、
限界を試したい欲望が強くなる。
先生もその気持はわかると思うが・・・


「ヨーガとは心の作用を止滅させること」
とパタンジャリンはヨーガ・スートラの
中で言っている。

サマディのあるべき姿であると
パパ太郎は感じている。

パパ太郎が先生と分かれる時
私はブレること無く他のスタジオに
飛び込んでいくと分かっている。


つまりパパ太郎は先生以上には
ヨーガをまだ知らないのである。

では。

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ぴーすけ君

良いお年をお迎え下さいませ(^-^)ノ
by ぴーすけ君 (2017-12-31 11:28) 

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